尾道の路地と広島市内で感じる、猫のいる風景

二月の終わり、otogibanashi編集部みんなで尾道へ行った。まだ冬のつもりでいたのに、その日は拍子抜けするくらいあたたかくて、昼過ぎには上着を脱いで歩いていた。海のほうから来る風もやわらかく、冷たいというより、春の手前の匂いがした。少し遠くまで散歩に来た日のような気分だった。

尾道の町は、坂と海のあいだに家々が寄り添っていて、道を一本曲がるだけで空気の濃さが変わる。人の行き交う表通りには明るさがあるのに、細い路地へ入ると急に音がやわらいで、足元の石や古い壁の手ざわりまで近くなる。そんな町を、私たちはゆっくり歩いていた。

尾道本通り商店街から、路地へ入る

少しお酒をたしなんだあと、私たちは尾道本通り商店街からふらりと脇道へ入った。尾道本通り商店街は、芙美子通り、土堂中商店街、本町センター街、絵のまち通り、尾道通りの五つで構成される長い商店街だという。にぎわいのあるアーケードを抜けて、少しひんやりした路地へ足を踏み入れると、そこに猫たちがいた。

otogibanashi編集部は、みんな猫が好きだ。だから見つけた瞬間、誰からともなく猫のほうへ寄っていった。すると猫たちは逃げるでもなく、こちらを見上げて、むしろ当たり前みたいに近づいてきた。足元にするりと体を寄せ、しっぽがゆっくり揺れる。日にあたたまった背中は思っていたよりやわらかく、喉の奥では低く小さく音が鳴っていた。尾道では、人と猫の距離のはかり方が、少しちがうのかもしれないと思った。

夕方の路地には、店休日の静けさが似合っていた

ひとしきり猫たちと遊んだあと、私たちはまた別の路地へ進んだ。夕方が近づくにつれて、町の色も少しずつ変わっていく。西日が斜めに差して、閉まった店のシャッターや、人気のない歓楽街の看板を照らしていた。店休日の曜日の通りには、少しだけ取り残されたような静けさがある。でもそれは、寂しいというより、尾道の町に昔からあった時間が、そのまま残っているような静けさだった。

観光地の顔が少し引いたあとの町は、どこか気持ちがいい。誰もいない通りに、遠くの生活音だけがうっすら混じる。私たちは特に急ぐでもなく、そのノスタルジーのなかを歩いていた。

「シロー! クロー!」

さっき猫たちがいた道に戻ると、もう姿は見えなかった。ついさっきまで、あんなに近くにいたのに、路地は何事もなかったみたいに静かだった。そのとき、近くの商店からおばあさんが餌の入った皿を持って軒先へ出てきた。そして路地の向こうへ向かって声をかける。
「シロー! クロー!」
もしかして、さっきの猫かな。そう思っていたら、私たちの気配に気づいたのか、おばあさんはするりと話し出した。
「色が白と黒だからね」
その言葉のあと、本当に猫たちは垣根の隙間から悠然と姿を現した。慌てもせず、迷いもせず、当然のような顔で餌皿に口をつける。その様子を見ていると、ここでは猫が現れることも、名前を呼ばれることも、全部ごく普通のことなのだとわかった。

「飼い猫ですか」と聞くと、そういうわけじゃないよ、とおばあさんは言った。近くにいるから、日々餌をあげているだけ。その言い方はとてもあっさりしていて、特別な善意を語るような響きはなかった。ただ、皿はちゃんとしたペット用の餌皿で、使い慣れたふちが夕方の光を受けていた。猫との共存、なんて大きな言葉にしなくても、こういう日常がたしかにあるのだと思った。

広島市内での筆者にとっての猫

広島市中区にある猫屋町ビルヂングにも、otogibanashi編集部はよく足を運ぶ。そもそも猫屋町、という地名の響きがなんとも愛らしい。最初は、さぞかし猫にゆかりのある土地なのだろうと思っていた。けれど実際には、広島開府のころに「猫屋」を号とした商家を構えた人物に由来する町名だとされている。広島市や広島市立図書館の資料には、屋号を「猫屋」とする加藤九郎右衛門、あるいは加藤九郎左衛門兼鎮の名が残っていて、猫そのものや伝説が由来というわけではないらしい。

私たちはみな猫以外にも同じくらいデザインされた建造物を見るのも好きだから、猫屋町ビルヂングにはレトロな構えを眺めに行くような気持ちでもよく立ち寄る。1階で甘いものやコーヒーをいただいて、少し休んで、また話して、という時間に何度も助けられてきた。猫屋町ビルヂングは「食べる、働く、ととのう」が同居する複合施設で、飲食店やアイスクリーム、ギャラリー、コワーキング、サウナまで入っている。直接猫に会えるわけではないのに、「猫」の字を持つ町の名前のせいか、私はいつも頭のどこかで猫を思い浮かべながら、このビルに糖分や気持ちのゆるみを求めている。私の中ではもう十分に、立派な“猫スポット”だ。

広島では、猫のいる風景が自然に見える

東京と広島の二拠点で暮らしている私にとって、東京で街なかの猫を見ることは、わりと珍しい。けれど広島では、海の近くにも、山の裾にも、街のなかにも、猫のいる風景がふつうにある気がする。それがきっと広島の持つアイデンティティのひとつだと思っている。猫が特別な存在としているのではなく、ただ自然に、風景の一部としている。

otogibanashiの猫のキャッチアイコンにも、私には少し願いのようなものがある。広島にとって新参者の私にも、広島との結びつきが少しでも深くあってほしい。広島の猫は、何かを教えるわけでも、案内してくれるわけでもない。ただそこにいて、この土地の空気をそっと渡してくる。だからたぶん私はこれからも、広島の町を歩きながら、猫のいる風景に目を留めてしまうのだと思う。

ライター:渡辺治人

Recent Posts

上部へスクロール